骨子の言の葉たち。

骨が大好きな骨子の、頭や心から溢れた言葉たちを徒然と。

昨日いい感じだった

いつもだったら辛すぎてそこでやめるところを

もっと掘り下げた。

そしたら、気づきがあった。


もっともっと掘り下げたら

楽になれるんだ。

途中だから辛いんだ。


悲しい、苦しい、辛いを感じたら

心を固まらせないで

クリーニングに逃げないで

そのまま

インナーチャイルドを抱きしめに行こう。


感じないようにするから

インナーチャイルドが死んじゃったんだ。

どうして勝手に

どうして勝手に不安になるのか。


辛い、怖い。

ごめんなさい。



子どもにごめんなさいって思いながら生き続けることは

したくない。

それなら離れた意味がない。



私は生きていたかったし

子どもを愛していたかったから

頑張って離婚してしまった。


違うな、

「離婚したいんでしょ」と人に言われて

「そうかもしれない」と思ったところから

始まってしまったんだ。


そこで

自分の気持ちをよく掘り下げなかったから

今でも後悔している。


いつも誰かのせいにしている。

自分を責めている。

もう嫌だ。


苦しいの嫌だ。

辛いのも悲しいのも嫌だ。


どうしたらいいの。


私は家族がほしかったけど

もう自分で壊してしまった。


その「家族がほしい」という願いさえ

本当ではなかったのかな。

それとも今、叶っている最中なのかな。



本質的にどう生きていきたいのか?


♦︎


「死にたい」を叶えてあげようとしたら

死ぬ前にやりたいことがあって

例えばそれは

お部屋の片付け…笑


綺麗に死にたい。



そこまで思ったとき

あれっと思って。


いつか死ぬんだよね。

生き物だから。

いつかってすごく先のような気がするけど、

それはいつかは分からない。

3ヶ月後かも。

明日かも。



そしてまた気がついた。

もう願いは叶っているんだ。


いつ死ぬか分からないけれど、

いつか必ず死ぬんだ。


そしたら、

死ぬまでの時間は

オマケみたいなもんだ。



そのオマケの時間、

何しよう。



死にたい

「死にたい」ということからさえも

逃げてしまったのだと気付く。


「願いは叶う」

「望み通りの人生を送れるようになる」

じゃあ

私の願いは、望みは

一体何なのか。


さっぱりわからなくなった。

これを望んでいると思い込んで

思いっきり行動してみたら

どうやら間違えた。

そして今でも後悔し、心が苦しく

悲しみでいっぱいになる。


もうこんな思いをしたくなくて

望みたくないし

叶えたくないのだと思う。



「3人でお家に帰りたい」と

言われて

それを叶えてあげられなかった。

ごめんね。







久し振りにインナーチャイルドの様子を見に行ったら

死んでた。

えっ!?と思って抱き上げたら

仮死状態だった。


もう何も感じたくないんだね。



望みが何も思いつかないなら

「死にたい」を叶えてあげれば

いいんじゃないか。


もう十分苦しかったし。

死ぬ時苦しくても頑張れるんじゃないかな。


部屋が汚いから

綺麗にして死のう。


ライオンズゲートが開いて

宇宙からのエネルギーがたくさん降り注いでいる中

こんなネガティブなことを願っていいのだろうか。

後で「生きたい」となったとき

後悔しないだろうか。



本当は

楽して楽しくお金持ちになりたい。

家族で仲良く楽しく暮らしたい。

パートナーと愛し合いたい。

大切な人に大切にされたいし、

その人を大切にしてあげられる自分になりたい。


本当かな?


本当にそれを叶えたいのかな。


それならもう叶ってるはずだし

願っているのでは?



ずっと自分の願いを叶え続けてきたのに

そうなってないってことは

本当に欲しいのはそれじゃないんじゃない?


じゃあ私は

何がほしいの?



越智啓子さんの本を読んで

「自分を生きれるのは自分しかいないんだから

自分を生きてみようかなぁ」って

思った。


だけど

どうすればいいかわからない。

何に向かって進めばいいの。

何を欲しがっていいの?


何でも欲しがっていいはずなのに。


「何の制限もなかったら

何を望む?」


息子と楽しく暮らす私。





でももう、手放してしまった。