骨子の言の葉たち。

骨が大好きな骨子の、頭や心から溢れた言葉たちを徒然と。

死にたい

「死にたい」ということからさえも

逃げてしまったのだと気付く。


「願いは叶う」

「望み通りの人生を送れるようになる」

じゃあ

私の願いは、望みは

一体何なのか。


さっぱりわからなくなった。

これを望んでいると思い込んで

思いっきり行動してみたら

どうやら間違えた。

そして今でも後悔し、心が苦しく

悲しみでいっぱいになる。


もうこんな思いをしたくなくて

望みたくないし

叶えたくないのだと思う。



「3人でお家に帰りたい」と

言われて

それを叶えてあげられなかった。

ごめんね。







久し振りにインナーチャイルドの様子を見に行ったら

死んでた。

えっ!?と思って抱き上げたら

仮死状態だった。


もう何も感じたくないんだね。



望みが何も思いつかないなら

「死にたい」を叶えてあげれば

いいんじゃないか。


もう十分苦しかったし。

死ぬ時苦しくても頑張れるんじゃないかな。


部屋が汚いから

綺麗にして死のう。


ライオンズゲートが開いて

宇宙からのエネルギーがたくさん降り注いでいる中

こんなネガティブなことを願っていいのだろうか。

後で「生きたい」となったとき

後悔しないだろうか。



本当は

楽して楽しくお金持ちになりたい。

家族で仲良く楽しく暮らしたい。

パートナーと愛し合いたい。

大切な人に大切にされたいし、

その人を大切にしてあげられる自分になりたい。


本当かな?


本当にそれを叶えたいのかな。


それならもう叶ってるはずだし

願っているのでは?



ずっと自分の願いを叶え続けてきたのに

そうなってないってことは

本当に欲しいのはそれじゃないんじゃない?


じゃあ私は

何がほしいの?



越智啓子さんの本を読んで

「自分を生きれるのは自分しかいないんだから

自分を生きてみようかなぁ」って

思った。


だけど

どうすればいいかわからない。

何に向かって進めばいいの。

何を欲しがっていいの?


何でも欲しがっていいはずなのに。


「何の制限もなかったら

何を望む?」


息子と楽しく暮らす私。





でももう、手放してしまった。